日本で暮らすクルド人の若者の日常に密着したドキュメンタリー映画「東京クルド」7/10(土)から関西で緊急公開

日向史有監督は映画公開に先駆けて、2017年に本作の短編版(20分)を国内外約20の映画祭で上映。2018年にテレビ朝日で放映されたテレビ版(30分)はその年のギャラクシー賞選奨、ATP賞テレビグランプリ奨励賞を受賞して大きな反響を呼んだ。「テレビ版の番組を見て、日本にクルドの人たちが住んでいて、ああいう状況にあることを初めて知ったという人がものすごく多かった」と話す(写真提供:東風)

トルコ南東部、イラク北部、シリア北東部、イラン北西部にまたがる中東の山岳地帯「クルディスタン」をルーツとし、独自の言語と文化をもつクルド人。推定人口約3,000万人の「国を持たない最大の民族」と呼ばれる彼らの中には、混迷する中東情勢下で迫害を逃れて国外に脱出した人たちもいる。1990年代以降、日本で暮らすクルド人も増え続け、現在、東京近郊を中心に約2,000人が住んでいるという。

日向史有監督はシリア紛争を機に激増した欧州へ逃れる難民たちの姿をニュース映像などで見て関心を持ち、2015年、幼いころに家族とともに日本にやって来たクルド人のティーンエージャー2人にカメラを向け始めた。当時18歳のオザンと19歳のラマザンだ。5年を超える取材・撮影を経て、今年4月に完成したドキュメンタリー映画「東京クルド」(103分)が7月10日(土)から関西でも緊急公開される。日向監督に話を聞いた。

 

 

冒頭シーン、まつげが長く彫りが深いエキゾチックな顔立ちのオザンとラマザンがボウリングに興じている。2人が話しているのは流暢な日本語だ。

冒頭ボウリングのシーン。ラマザン(左)とオザンは屈託なさげにそれぞれの投げる球のクセについて話しているが……

「あのシーンは最初のころに撮影しました。2人にカメラを向けたのは、彼らがとても魅力的だったから。映画の中で2人はある種、対照的なキャラクターのように描かれていきますが、当初は2人とも同じように悩んでいた。ラマザンは高校を卒業後、希望する語学学校に入れずに悩んでいたし、オザンは自分の将来の価値や意味を信じきれないままでいた」

2人が悩む姿は、日向監督が撮影前に出会ってショックを受けたクルドの若者たちの姿に重なる。「埼玉県の蕨駅近くの雑居ビルにある日本クルド文化協会で知り合った10代後半や20代前半の男の子たちと話していると、『シリアに渡ってISと戦いたい』と言う若者たちがいた。平和な日本にせっかく逃れてきたはずなのに、なぜ戦場に身を投じたいと言うのだろう? 理由を聞くと、日本に居場所がない、日本にいても意味がない、日本での未来に希望が持てないという答えが返ってきた。彼らをここまで追いつめているものは何なのか? 幼くして日本に来たり、日本で生まれたりした彼らのアイデンティティーはどんなふうにあるのか。知りたいと思ったことが映画を撮り始めたきっかけでした」

難民申請のハードルが高い日本で2人は十数年暮らしてきた

日本は1981年に「難民条約」を批准しており、難民に認定されれば日本国民と同じ待遇を受けられるが、日本での難民申請のハードルは非常に高い。2016~19年には年間1万人を超える申請者がいたが、認定された人は19年の44人が最大で、その年の認定率は約0.4%。新型コロナウイルスの影響で入国者が激減した2020年の申請数は3,936人で認定者は47人、認定率は約1.2%だった。

「ラマザンもオザンも法的には『仮放免』という立場で、1カ月ごとなど定期的に出入国在留管理庁(旧・入国管理局/入管)に出向き、『仮放免』の申請、延長を繰り返しています。大前提として日本には、非正規滞在者は早期に送還しよう、今すぐ国に帰ってもらおうという国の方針がある。『仮放免』は退去強制令書が出ている人、もしくは退去強制令の手続き中の人たちに出される一時的な措置で、本来ならば収容されていなければならない外国人に対して、保証人が面倒を見てくれるという条件の下で一時的にその収容を停止し、身体の拘束を解くものなので、正規の仕事に就くことができません。仮放免が認められなければ、入管に強制収容されることもあります。

法律的に言えば、たとえ非正規滞在者であっても子どもたちは日本で教育を受けられます。それは文科省のホームページにも書いてあります。彼らは高校まで公立校に通っていた。けれど、ラマザンが専門学校に入学したいと願った時に、学校側から言われた言葉は『え、ビザないんですか? 在留資格ないんですか? そんな人、前例ないから入れるわけないですよ』。非正規滞在者なら何かわけありでしょ、と無意識に差別するのです。

入管の職員たちは国の方針に則って仕事をしているから『他の国へ行ってよ』という言葉を彼らに投げかけたりする。最初に聞いた時は僕もショックでしたが、職員たちは職務として仕事を遂行しているに過ぎない。もちろん、差別的な言葉は聞いていてイライラしますが、そもそもその方針を作ったのは国なので、僕は職員ではなく、国の方針にこそ問題があるのではないかとすごく思います。

その意味で、入管の職員たちよりも、前例がないから排除するという専門学校の窓口の人たちの無理解・無関心さの方が、よほど差別的で根深いんじゃないかという気がします」

驚異的な粘り強さで前向きに生きるラマザン

仮放免許可の延長のために入管に出頭するラマザン

ラマザンは通訳志望を変えて、驚異的な粘り強さで自動車大学校に進学した。そして、正規の在留資格を得る裁判を起こした。

「弁護士と事務所で打ち合わせするシーンで『裁判はどのくらい長くかかりますか?』『結構かかるよ』というやり取りがあって、ラマザンが『自動車大学校の海外研修に本当は行きたいけれど、ああ、わかりました。仕方ないです。大丈夫です』と言って、無理だったことを自分に納得させます。映像をチェックするために何度も見ているのですが、このシーンで僕は、ラマザンは人生の中で何度同じ言葉を言ってきたのだろうと思うんです。『わかりました。仕方ないです。大丈夫です』。彼はどこまで頑張らなきゃいけないんだろう。撮影していてもすごく思いましたね。ちなみに彼は今、大学校を卒業して自動車整備士の国家資格を取りました」

「仮放免」ゆえにオザンと父の間に溝が…

一方のオザンは父と折り合いが悪く、家を出て一人暮らしを始める。

解体の仕事に向かうオザン

「映画ではきちんと描けなかったが、取材を通じてオザンの父親に対する気持ちもすごく純粋だと思った。オザンがかつて学校でいじめられた時、父は自分を信じてくれず、学校にも来なかった。オザンは父に、もっと自分を認めてほしいと言っていた。僕は仮放免という立場で日本にいなくてはならないことが、親子関係にもすごく大きく影響していると思う。

父としては、息子オザンに、自分が望む職業に就いて幸せに生きていってもらいたいという気持ちが、親として当然ある。ただ、オザンはオザンで、仮放免でそもそも仕事をできる資格がないのに、どうすればいいんだという気持ちもある。オザンの父に聞いた話ですが、オザンが一度ハローワークに行きたいと言ったことがあるそうです。父は『やめとけ』と言った。仕事をする資格がないから。だけど小学生から日本人とともに育ったオザンの方は皆と同じように、何とかして仕事が見つかるんじゃないかと思った。ハローワークに行って、やはり見つからなかったと父に報告した。すると父親はすごく傷つく。『だからやめとけと言っただろう』と。オザンは父親の傷ついた顔は見たくない。だから彼はどうするかというと、自分がこうしたい、ああしたい、未来こうなりたいということを父に言わなくなる。すると父親は、なんで俺に言わないのか、なんで俺に助けを求めないのかということになる。でも結局、助けられなくて傷つくのはお父さんでしょ、とオザンは思っている。そうすると、互いに相手を思い合っている2人の間に溝ができて広がってしまう。そういう父との関係性が、オザンが18歳の時にはありました」

聞いているこちらが切なくなってくるような親子模様だ。彼らが私たちの社会に、隣人として暮らしていることを、もっと当たり前に受け入れることはできないのだろうか。

日向監督は映画を通じて「彼らがここに生きているということを知ってほしい」と話す。

制度と現実の乖離が生み出す2つの問題

「具体的にどう解決したらいいのかはわからないですけれど、問題だと考えていることは2つあります。どちらも制度と現実が離れだしていることから生じていると思いますが、まず1点は、クルドの子どもたちに限らず、日本で生まれた、あるいは幼くして日本に来て日本語を母語としている子どもたちが『仮放免』の非正規滞在という立場で、どんどん育って増えてきているということ。国はその子たちをいつまで無国籍、仮放免という立場にしておくつもりなのでしょうか。

2点目は、入管や国が不法滞在と呼ぶ人たちが、人手不足の産業の一端を担っている構図がすでにあるということです。僕たちは『不法滞在(者)』という言葉に含まれる負のイメージを避けたくて、『非正規滞在(者)』という言葉を使っていますが、入管が彼らの就労実態を調べた調査(出入国在留管理庁「令和2年における入管法違反事件について」)では、男女合わせた統計で就労先の産業の1位は農業、2位は建設、3位は工場労働でした。不法滞在、不法就労というと、麻薬などのドラッグや武器の密売などをイメージしがちですが、人口減による労働力不足を補うために、外国人が今すでにたくさん働いている。それと難民保護は次元の違う問題ですけれども、今の制度と現実がちぐはぐな状況であるという点では同じです」

入管の収容施設に長期収容される非正規滞在者たち

昨年公開された諏訪敦彦監督の劇映画「風の電話」にも、家族が入管施設に収容されているクルドの人たちがドキュメンタリーのように出ていた。

入管の収容施設に入っていたメメットさんは体調不良を訴えた

スリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんが名古屋の入管施設に収容中に死亡したことで入管行政に対する厳しい世論が巻き起こり、4月から衆議院法務委員会で審議されていた入管法改正案は6月、見送りとなった。成立すれば、難民申請ができるのは2回まで、それ以降は強制的に国外退去を求められるという非人道的な条文を含む、市民団体が「改悪だ!」と非難する法律がラマザンやオザンたちにも適用されていたかもしれない。

「メメットさんも入管収容中に体調不良となり、家族が救急車を呼んだが、搬送されませんでした。その後、彼は無事に出てきて家族と暮らしていますが、これまでの20年間で収容中に20人が亡くなったといわれています。一体これから何人亡くなれば、この問題が解決するのか。やりきれない気持ちがありますね」

なぜ今「緊急公開」するのか?

そんな時期だからこその緊急公開なのだろうか。「映画は4月に完成しましたが、コロナ禍で映画館が大変な状況にあったので、普段通りだったら公開できるのは来年か年末かと考えていました。配給会社の東風さんが作品を見て『これは緊急公開しなければいけない』とおっしゃってくださった。僕自身の気持ちとしても、オリンピックに合わせたいという気持ちがありました。オリンピックに向けた治安対策で、これまで非正規滞在者への対策は厳しさを増してきました。大きな祭りのために何が犠牲になっているのかを、その時期に見せたいというのがありました。だから配給を決めてくれた東風さんやこの時期に上映してくれる第七藝術劇場や出町座、元町映画館に、本当に感謝しています」

彼らが私たちの隣人として当たり前に暮らせるために

ラマザンのアドバイスを聞いて、オザンはあるアクションを起こしたが……

実は主人公の2人は、日向監督にリモート取材した6月29日現在、まだスクリーンで完成した映画を見ていないという。「本人たちが映っているカットは、ご自宅に僕がパソコンを持ち込んで見てもらったりしたが、通しの流れでは彼らはまだ見ていません。仮放免という立場で生きている彼らは県外移動が基本、禁止されているからです。埼玉県に住んでいる彼らは、許可がないと東京には来れない。入管で『一時旅行許可』の申請が認められれば、例えば東京の病院などには行ける。『映画鑑賞という娯楽目的のために一時旅行許可は出せません』というのが入管の答えでした。当たり前のことが当たり前にできないんです。

だけど僕は思うんです。人手不足を解消するために新しい在留資格を作って、日本語の勉強を一から始める人を海外から連れてくる資格を新しく創設するよりも、まず日本で生まれたり日本で育ったり日本語を母語として育たざるを得なかった子どもの存在に目を向けて活用したほうがいいのではないか。彼らは日本語をしゃべれるし、日本の文化に馴染んでいる。彼らに在留資格をちゃんと与えて働いてもらい、ちゃんと税金を払ってもらえば、お互いに幸せなんじゃないかと思いますけれどね」

 

日本社会には様々な事情で日本人でありながら戸籍のない子どもたちもいる。戸籍がないから人権がないわけではない。国籍がないから人権がないわけではない。非正規滞在者たちも同様だ。ここに現に人がいる。この人の人権を守るために、私たちは何ができるのか。日向監督が願うように、一人ひとりの無理解・無関心をなくすことが、多様性と包容力のある豊かな日本社会を作っていく鍵になるのではないだろうか。

 

【公開情報】7月10日(土)から第七藝術劇場、23日(金)から京都・出町座、24日(土)から兵庫・元町映画館で公開。7月11日(日)には第七藝術劇場で、日向史有監督による舞台挨拶が予定されている。

「東京クルド」公式ホームページ https://tokyokurds.jp/

 

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